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“ゆる筋トレ”にあらざる筋トレがいかに問題を多く含むかについて、浅田真央選手の例で考える(高岡英夫・談)

筋トレによって生じる交感神経への心身の影響は、勝敗を左右するほどのマイナスだった

私は、浅田真央選手を日本スポーツ史上稀な才能とも、また日本フィギュアスケート界100年に一人の才能ともみなしています。

彼女は何が何でも負けないという堅牢な意識のある、無類の負けず嫌いな性分なのですから、このレベルの戦いになれば、いかに広い視野にたって、奥深く、冷静沈着に、物事を受け止めることができるか否かが勝負の分かれ目になってくるのです。

わかりやすくいえば、昔の江戸時代以前の剣術家が戦いの境地を極めていって到達するような心身ともなる冷静さが必要になってくるということです。昔の古歌で「立合は心しづかに気をくばり、富士の姿をよすがとはせよ」というものがありますが、どんなに詳細に技術、戦術、戦略、情報を収集し、思いをめぐらしたとしても、それは自分の身体や心や相手、そして一切の環境全体についても、あのような堂々たる日本最高にして最大の威容、最深の静けさを誇る富士山のような心境であらねばならない、と言っているわけです。このような心境に至るためには、筋トレによって生じる交感神経への心身の影響は、勝敗を左右するほどのマイナスだったと、私は考えています。

次に、身体への影響をお話します。筋トレを行っていきますと、筋肉は縮んで固くなります。それが休養や睡眠などの時間を経ることによって回復することで、元に戻ってきます。中年や高齢者などがひどい運動不足によって筋肉の新陳代謝活動が極端に衰えている状況においては、きわめて丁寧に適正に筋トレが行われた場合に、筋肉が新陳代謝活動を回復、高進させる結果、筋肉が逆に柔らかくなり伸長性も高まって、全体としてゆるんでくるというプラスの結果をもたらすこともあります。

しかし、浅田真央のような選手の場合は、すでにスケートの練習によって十分に高い水準の筋活動が行われていますから、そのような状況とはまったく異なっています。実際に浅田真央選手は、すでにかなりの水準の筋力がありました。そのことは、あの高いジャンプ力や、素早いエッジワークにおける重心移動力と氷面押圧力を見れば明らかです。それ以上の筋力をつけようというのが筋トレの目的なのですから、前提としてすでに新陳代謝活動が十分な浅田選手にとって、筋トレの効果が出るほどトレーニングをやりますと、相対的に筋肉が固く、縮んでしまうのです。

交感神経の優位状態が続くことで一日の休養と睡眠では回復し切れなくなる

筋トレで疲労した筋肉は、休養や睡眠によって回復するのですが、筋トレ以外に長時間のスケート練習や、交感神経が優位なところで起きてくる緊張状態、ストレスを受けやすいような自律神経の状態に選手があった場合、この筋トレによって固く縮んだ筋肉は、一日の休養と睡眠では完全に回復し切れなくなるのです。

たとえば、回復できない割合が0.1%に満たないものであったとしても、それが繰り返されていくとどうなるか。それは複利計算と一緒ですから、だんだん次第に何ヶ月、一年、二年という経つ間にパーセンテージを増していくわけです。具体的に何パーセントになったかを正確な数字で表現することはできませんが、おそらく1%、2%というような壁は超えていたでしょう。

そうすると、必要な瞬間に使うべきでない筋肉を自由に弛緩させる能力を前提として、全身のあらゆる筋肉を見事に自由自在に使い分けるような高度な身体使いが難しくなってしまうということなのです。これをわかりやすくいいかえれば「何だかギコチナイ」「力んでいる」「動きが固い」状態ということです。もっと弛んでいなければならない筋肉が、本人の主観としては力を入れているわけではないのに、不必要に固く、縮んだ状態になってしまう、ということなのです。

当然、彼女には整体やマッサージの専門家はついていたでしょうから、懸命になって彼女の身体をほぐす努力もしたはずです。しかし、それでも追いつかないほど筋肉の硬縮というものが、年月をかけて彼女を襲ったのだ、と私は判断しています。

最終的にどうしてそのように判断できたのかといえば、オリンピックの会場に立った彼女の姿や、メディア等で報道された過去2、3ヶ月以内の練習風景での彼女の姿を見たからです。余計な筋肉に力が入っているために骨格を使い切って氷に乗れていない、明らかに力みの感じられる筋肉のブレーキ成分が必要のないところで働いてしまっている、深層な微小筋群が体幹内に箱状化するように硬縮している、そのような身体状態をはっきりと呈していたことを私は見抜きました。こういう身体状態になってしまいますと、そこからいくつもの災いが起きてくるのです。

ポジショニングが崩れたために、あらゆるところにマイナスの影響が及んでしまった

まず、見ていて美しくない。力んだ人間は、美しくありません。これはあらゆる分野について言えることです。また、力んでいるということは、重心を感知するのに必要な筋紡錘つまり筋肉内の感覚器からの情報を混乱させる因子となることによって、重心コントロール機能が恒常的に低下してくるという現象が起きてきます。別の言葉でいえば、理想的なポジションに恒常的に乗りにくくなってくるということです。

どんなスポーツでも重心をどの位置に乗せるか、つまりポジショニングというのは大変重要なのですが、このフィギュアスケートのような氷上の種目になると、他のスポーツ競技以上にますます重要なものになってくるのです。このことは重心のポジショニングが上手くできない初心者が、氷上に乗るとすぐにステンとひっくり返ってしまうことで推測していただけるかと思います。

浅田真央選手のようなレベルで、このことがどのような現象として表れるかといえば、氷に見事に乗り切れない、スピードが楽に上がらない、滑りが美しくないということになるのです。しかも、ジャンプに入るときに重心のコントロールを定常レベルよりも高めなければならないので、そこに集中的な脳活動と特別な気合が必要になります。そして、ジャンプ中や着氷も同じ状況なわけですから、ジャンプのたびに定常レベルの重心の感知能力、その結果のポジショニングでは足りないがために、いちいち特別な集中状態、気合の入った状態を作らなければならない、ということが起きてくるのです。

このことが全体として、この競技全体を通すベースになる意識の流れを大きく邪魔する要因になってしまうのです。そして、エッジワークが、浅田真央選手は世界最高難度と言われるステップを構成に入れたことで知られていますが、デジタルに見ればそのせっかくの最高峰のステッピング、エッジワークなのにもかかわらず、アナログで見たときに世界最高峰というには物足りないものになってしまった、という矛盾した結果が起きていたのです。

つまり、エッジについて角度だけ瞬時に選択仕分けてやることが出来たとしても、その全体の姿が余裕のある柔らかさ、深く重量感のある美しさというものを体現できない。そして、その他、重心の感知能力、ポジショニングというものは、このフィギュアスケートの種目の根本ですべてに渡っているものがゆえに、あらゆるところについて、このことがマイナスの影響として表れるということを、皆さんにも知っていただきたいと思います。

肋骨の段ずらしができるのは、世界でダントツの一人か二人くらいだけ

さらに深い話を続けます。じつは人間の身体操作、和語でいうところの身体使いというものは、どこまでも奥深い内容が存在します。今日の発達したトップスポーツの世界でも、まだその身体使いの極限までは到達していません。この辺りのことは、ぜひ拙著『究極の身体』を一度ならずお読みいただき、少なくともその世界を知識として知っていただきたいと思います。

さて、この奥深い身体使いの一つに、肋骨の段ずらしというものがあります。肋骨の1本1本を身体操作のパーツとして使う、という身体使いです。この肋骨段ずらしができるというのは、江戸時代の剣術家でいえば、ある程度剣が使えた人間はおそらく全員ができていたというほどのものですが、つまり江戸時代はそれほど身体使いのレベルが高かったということを意味しています。それは剣術家に限らず、職人でも農民でもそういう身体使いをする人々がたくさんいたということでもあります。

しかし今日、そういう身体使いをする人間は一般人ではほとんどまったくといっていいほど見られない時代に入りました。一方、競技スポーツはどうかというと、各分野のスポーツを見渡してみてもきわめて稀なのです。各種目の世界のトップ、それもダントツの一人か二人くらいが、そのような高度な身体使いができるというレベルなのです。

筋トレを選んだことが、失敗の原因の一つだった

今回のバンクーバー五輪のフィギュアスケートでいえば、肋骨の段ずらしがある程度できていたのが、フィギュアスケートのペアで優勝した中国の申雪と趙宏博組。そして、惜しくも男子で銀メダルだったロシアのプルシェンコです。しかし二組ともショートプログラムではそれなりに肋骨を使えていたのですが、フリースケーティングではほとんど使えていませんでした。

なぜこんなことが起きたのでしょうか。それは、彼らの能力の水準でいうと肋骨の段ずらしギリギリの高度な脳活動だったからです。それが、私から見ればそれほどレベルは高くないものの、ショートプログラムでその肋骨使いをよくぞ行えたという背景なのです。しかしその結果、フリースケーティング本番のときには脳疲労が起こってしまったのです。脳疲労のために脳の機能が低下して、高度な脳活動は不可能な状態になってしまったのです。

そのような意味で、肋骨についていえば、フリースケーティング時には凡庸な身体使いしかできていなかった、というのが中国のペアとプルシェンコの二組でした。

筋トレを続けると、肋骨の段ずらしのような高度な身体使いを行う方向から、どんどん脳が衰えていくことで、ドンドン反対の方向に引きずられて行ってしまうのです。たとえば腕や脚の筋トレを行いますと、肋骨を一つの箱状に固めた状態でその箱を土台として手足を動かすという状態になってしまうのです。私の身体運動理論でいう「固定土台」ということです。

腕で考えるとたいへんわかりやすいので説明しますと、腕の屈筋を鍛えるために重量物を引っ張ったり、逆にペンチプレスのように押し上げたりするときに、起重機がものを動かすときのように、運動を行うときの土台として肋骨を一つの箱として固めるレベルの低い身体使いになってしまうのです。私は、この運動機能を工業科学の専門用語を借りて固定土台と呼ぶことにしたのです。

せっかくの肋骨を使える天才性というものを筋トレが潰してしまった

筋トレをやりますと、一気呵成といえるほど、ドンドン固定土台化していきます。10代の才能のある選手ですと、ますますその傾向が顕著に現れます。私が浅田真央がたぐい稀なる才能のある選手として見なしているということは、当然のことながら肋骨を段ずらしでより自由に使える可能性があった、それだけの才能があったということを意味しています。しかし、そのせっかくの肋骨を使える天才性というものを筋トレが潰してしまったのです。これは推測というより、ハッキリ私の観察によって断定してよい事実だと思います。

浅田真央の肋骨は、4年前に比べて明らかに箱状に硬縮して固まってしまいました。そのことは体幹部全体についていえるのですが、ここでは紙幅が限られていますから詳論はしませんけれども、固く硬縮してしまった体幹部を一つの箱とたとえると、箱からニョキッと4本の関節付きの木の棒が出てくるというようなレベルの低い身体使いの方向に、浅田真央選手はこの4年間で行ってしまったということになります。

この精妙かつ深奥の身体使いを成立させているパーツというのは、骨格だけに限ったとしても、肋骨から26個の背骨、仙腸関節、股関節など多くあります。筋肉についていえば、もっと複雑になってきます。そういった精妙かつ深奥の身体使いを成り立たせるパーツが筋トレをやることによって、ことごとく固まって自由度を失ってしまうという事実をぜひ知っておいていただきたいものです。

あまりにも筋活動の低い選手や個人の場合は、筋トレをやることによって試合等における筋持久力を増大させる場合もありますが、すでにそれまでに練習や試合によって十分な筋活動に達している選手や個人は、筋トレをやることによって身体が硬縮してしまった場合、持久力が下がることの方がむしろ問題になるのです。

これは筋肉・骨格・血管・脳・神経などが全体として硬縮状態に入っていくと、酸素と二酸化炭素を交換するガス交換が行われにくくなり、疲労物質を貯めやすくなるからです。ますます疲労回復しにくい身体になるのです。そして、そのことは休養期だけでなく、試合中についても同じことがいえるのです。

力んだ動きでハイレベルな種目の金メダリストになることは決してできない

逆に疲労回復しやすいゆるんだ身体というのは、試合中に自由度の高い状態で運動することによって、たとえば筋活動を行う筋肉が非常にゆるんでいる、つまり収縮と弛緩というものが高度なメリハリを持って行われるがゆえに、筋肉のポンプ作用というものが非常にうまく働くのです。その結果、疲労物質の交換とガス交換が十全に行われるのです。その結果、硬縮していないゆるんだ身体はきわめて疲労しにくくなるのです。

このことは実証的に証明できています。もし疲労に追い打ちをかけるような筋トレを行いますと、当然のことながら、筋肉に大きな負荷や負担をかけたり、頑張らせるということになります。そして、その行為を脳が覚えてしまうわけです。

筋トレを一日1時間、3年も4年もやったとすると、厖大な日数と時間を一所懸命筋肉を意識して、その筋肉に頑張らせるわけですから、年中、その筋肉を使うぞ、使うぞ、使うぞという潜在意識状態になってしまうわけです。

その結果潜在意識が、試合中に使わなくてもいい筋肉を、使わなくてもいいほど使いたくなってしまうのです。つまり筋肉にいたずらに頼った動きになってしまうのです。これは客観的に観察した場合に、汚らしく、見苦しく、力んだ動きになるということなのです。

力に頼った無理な動きというものを観察者本人が行うタイプの場合、自分とのシンパシーにおいて、力強いたくましい動きだ、ということでプラスに評価する可能性はありますけれども、しかし可哀想ながら、今回のような浅田真央とキム・ヨナのようなハイレベルな戦いにおいては、そのような認識レベルは全く通用しません。

弱い種目の全日本大会ぐらいですと、そのような力んだ動きでも通用しますし、オリンピックでも3位、4位ぐらいになりますと、優勝者以外には力みながらも力づくでなんとか頑張って勝つということも起こってくるのですが、ハイレベルな種目の金メダリストになることは決してできないのです。

さらにもっと悲劇的なことに、筋肉自体が硬縮によって疲労回復しにくい状態にありながら、なおかつ今度は、積極的に潜在意識により負荷をかけるパフォーマンスをしたがるという習性が、筋トレによって身に付いてしまうのです。

浅田真央選手はそういうところまで至っていないとは思うのですが、以前に比べて筋肉を破壊、損傷しやすい状態に陥っていることは間違いないと思います。その典型的な例が、北京五輪前に筋トレを徹底的に取り入れ、北京五輪を前にして筋肉を痛め、オリンピックを断念することになった野口みずき選手です。

キム・ヨナは、肋骨の段ずらしをSPのときもFSのときも使えていた

一方、キム・ヨナは先程来ずっと浅田選手が陥っていた状態に対して、その正反対にいたのです。つまり筋肉はたいへんゆるんでいて、筋肉の脱力と入力がきわめて高度にメリハリ良く行われていた。したがって、試合中の疲労回復能力やガス交換の能力もきわめて高いところにありました。そして筋肉を無理に負荷をかけてまで頑張るような身体使いをしていなかった。その結果、最初から最後までまったく疲れを見せることなく、踊り切ることができたのです。後半いやましに勢いが増すほどのパフォーマンスでした。秘密はまさにゆるんだ身体にあったのです。また当然ながら、その姿には奥深い美しさが共存していました。

さらに専門的なことを一つ付け加えておきますと肋骨使いです。彼女はちょうどプルシェンコや中国の金メダルペアがショートプログラムでのみ使えていたあの肋骨の段ずらしという身体操作を、ショートプログラムのときもフリースケーティングのときも使えていたのです。

それは、私ども武術家から見たときにそれほど完成度の高い水準ではありません。しかし現代の競技スポーツ、またとくにフィギュアスケートの水準から見ると“抜群の素晴しさ”だったということです。

肋骨を使えない選手は、腰背筋で頑張って蹴るたびに腰や背中を反ってしまう

最後に肋骨使いがどのような働きをしているかについてご説明しましょう。スタートをして加速していくときに肋骨を使えない選手は、どうしても腰背筋で頑張ることになります。だから蹴るたびに腰から背中にかけて、一回ずつ反るような動きが生じるわけです。バンクーバー五輪での浅田真央選手は、残念ながらそういう滑りをしていました。

一方、キム・ヨナは腰で反る滑りがきわめて少なかった。つまり肋骨の一つ一つのパーツを下に向かってずらしていくことによって、そこから駆動力を生んで、スケートのブレードの氷面圧を高めるような身体操作ができていたということです。

ですから、きわめて軸の通ったきわめてたおやかで、しとやかな動きの中でしかも加速力豊かな滑りができたということです。いま「軸が通った」という話をしましたが、一回ずつ腰を反らせながら氷面圧を高めようと蹴っていきますと、当然のことながら軸が腰のところで切れてしまうのです。くさび状に意識が入りますから、そのたびごとに軸が腰で切れてしまうのです。加速していくために当然、左右両足交互にスケート靴で氷面を蹴るわけですが、そのたびにいちいち軸が切れる。次の瞬間、また戻す。また蹴っては切れる。また戻す。こういうことが繰り返されていくわけです。だから軸の状態は良くならない。全体として滑っている印象を見たときに、なんかドタバタしているように見えてしまうのです。外側はジグザグ行進しているわけではないのに、身体の内部がジグザグ行進しているように見えてしまうのです。

それに比べてキム・ヨナは、センター・軸がスパーンと綺麗に上下に立ち上っていた。つまり、地球の奥深くから天の高いところまで軸が抜けるように立てていたのです。それは一回ごとに腰背部を使って反らしていたら、決してそうはなりません。そのたびに腰背部で軸が切れてしまいますから、センター全体は繋がる力も減るし、高さ、深さも短くなってきてしまうのです。キム・ヨナは、逆に肋骨が使えることによって、ますますそれがいやましに良くなっていったということなのです。

(了)

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